死を覚悟するということは、人生での役割を終え、家族や友人との仲を整理し、避けられない運命を安らかに受け入れることを意味します。死期を迎えた患者と家族の多くで、スピリチュアルな側面や宗教的な側面が重要になります。ケアチームのメンバーに聖職者がいるホスピスや病院施設もあります。患者と家族に、聖職者やスピリチュアルな面での指導者の知り合いがいない場合は、プロの介護者がスピリチュアル面で適切な支えが得られるよう手助けをしてくれます。
死が迫っている患者と家族は、家族や友人、場合によっては聖職者の助けにより、しばしば深い安らぎが得られます。
深い悲しみの過程は否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容という5つの感情的段階を経て進行します。
自分が死ぬことを知ると、生きることの本質や意味、あるいは苦しんで死んでいく理由に対する疑問がわき上がります。こうした根源的な問いに答えを見いだすのは難しいものです。その答えを追い求める中で、重病患者と家族は、宗教、カウンセラー、友人、研究情報など、利用できる限りの情報に当たり、つてを頼ります。そして話し合いを行い、宗教的儀式や家族に伝わる儀式に参加し、有意義な活動に参加します。絶望に対抗する最も効果的な薬は、他者から大切に思われていると感じることです。とめどもなく繰り返される診断と治療によって、もっと大きな疑問や有意義な体験、人間関係の重要性を消し去ることは許されません。
深い悲しみを感じるのは正常な過程で、予期された死が訪れる前に始まります。死と死期の研究の先駆者、エリザベス・キューブラー・ロス氏によれば、死期を目前に控えた人の多くは一般的に次の5つの感情的段階を経験します。
否認
怒り
取り引き
抑うつ
受容
典型的には、これらの5段階の感情をおおむねこの順番で経験します。ただし、順番は入れ替わることもあります。否認期の人は、自分が死ぬことはないかのように行動し、話し、考えます。否認の感情は、事態を制御できなくなること、愛する者と別れなければならないこと、未来が不確かなこと、苦しむことに圧倒的な恐怖を感じ、それに対して起こる一時的な反応です。医師や医療従事者と話し合うことにより、患者は自身の制御を失ってしまうわけではなく、快適で穏やかな状態を維持できることを理解します。怒りは「なぜ私が?」と不公平を感じる気持ちとして現れます。取り引きは死を論理的に考えているしるしで、患者は時間を求めるようになります。取り引きなどの対応がうまくいかないことが分かると、抑うつが生じます。受容の感情は、運命との直面と表現されることもありますが、家族や友人、介護者との話し合いを経て現れます。
死を覚悟するのは辛いことであり、頻繁な感情の浮き沈みを伴います。しかしたいていの人にとって、死を覚悟することは、新たな理解に達し、成長することでもあります。過去の痛みを忘れ、関係を修復することにより、死にゆく人と家族は心の平安を得ることができます。