心の病気(精神障害または精神疾患)には、思考の障害、感情の障害、行動の障害などがあります。思考、感情、行動などに多少の問題が生じるのはよくあることですが、そのために大きな苦痛が生じたり、日常生活に支障をきたしたりするものは、精神障害(精神疾患)とみなされます。精神障害の影響は、長期的なものになる場合もあれば、一時的なもので終わる場合もあります。
成人の半数近くが人生のいずれかの時点で何らかの精神障害を経験し、そのうちの半数以上は中等度から重度の症状を経験します。実際、5歳以上の人で日常生活に大きな支障をきたす原因上位10個のうち、4つが精神障害であり、同様の病気の中ではうつ病がトップとなっています。しかし、精神障害を患う人がこれほど多いにもかかわらず、専門家の助けを受けている人は20%程度にすぎません。
精神障害に関する理解や、その治療法は大きく進歩しましたが、周りからの偏見は依然として残っています。例えば、精神障害のある人を非難したり、怠けている、無責任などと考えたりする人もいます。精神障害は、身体的な病気と比べて実態がとらえにくく、法律的に規定するのが難しいため、国や保険会社は、その治療費を保険の支払い対象としたがらないのが現状です。しかし、精神障害が医療費や労働日数の減少にどれほどの影響を及ぼしているかが理解されるようになり、この流れは変わりつつあります。
精神障害の特定
また精神障害は、必ずしも正常な行動と明確に区別できるとは限りません。例えば、配偶者や子どもなど大切な人を亡くした人の場合、死別による喪失感とうつ病を区別するのは困難ですが、それは、どちらの場合も悲しみと気分の落ち込みを伴うからです。
また、仕事に関する心配やストレスから来る不安は大多数の人がときに経験するものであるため、そのような不安がある人に不安症の診断が該当するかどうかを判断するのは、容易ではない場合があります。
同様に、特定のパーソナリティ特性(誠実であるとかきちんとしているなどの人格的特徴)とパーソナリティ障害(強迫性パーソナリティ障害など)との境界もあいまいです。
したがって、精神的に健康な状態と精神障害がある状態は、それぞれが連続した1つの状態の一部分であると考えるのが妥当です。その境界線は多くの場合、以下の点に基づいて定められています。
症状の重症度
症状の持続期間
症状が日常生活を送る能力に及ぼしている影響の大きさ
精神障害の原因
現在では、以下の要因が複雑に影響を及ぼし合って発症すると考えられています。
遺伝
生物学的な要因(身体的要因)
心理的な要因
環境的な要因(社会的要因や文化的要因を含む)
多くの精神障害に遺伝的な要因が関与していることが研究によって示されています。精神障害の発生に関して何らかの遺伝的な脆弱性をもつ人が精神障害を発症するケースが多いのです。そうした脆弱性に、家庭や職場での問題といった生活上のストレスが加わると、精神障害の発生につながる可能性があります。
また、脳内の化学伝達物質(神経伝達物質)の機能不全が精神障害の発生につながる場合があると、多くの専門家が考えています。精神障害の患者にMRI検査やPET検査などの脳画像検査を行うと、しばしば脳内に何らかの変化が認められます。このように、多くの精神障害には、神経学的な原因があると考えられている病気(アルツハイマー病など)と同様に、生物学的な要素があるとみられています。しかし、画像検査でみられる変化が精神障害の原因なのか、精神障害の結果なのかについては、よく分かっていません。
脱収容化
ここ数十年で、精神障害のある人々を施設から出し(脱収容化)、地域社会で暮らしていけるように支援する動きが生じています。この動きは、有効な薬が開発されるとともに、精神障害に対する考え方が変わってきたことによって可能となりました。この動きとともに、精神障害のある人々を家族や地域社会の一員としてみなすことに重点が置かれるようになってきています。1999年に米国の最高裁判所で下されたある判決が、この変化を強く後押ししました。オルムステッド判決と呼ばれるその裁決では、米国の各州に対して、それが医学的に適切であるかぎり、精神医学的な治療は地域社会の中で行うように求められています。
精神障害の患者とその家族との交流は、重度の精神障害の改善にも悪化にもつながる可能性があるということが、これまでの研究から示されています。そこで、慢性の精神障害患者が再び入院しなくて済むような家族療法の手法が考案されました。現在では、患者の家族は治療の協力者として、以前よりも密接に治療に関わるようになっています。かかりつけ医も、精神障害のある人がリハビリをして社会復帰していく過程において重要な役割を果たします。
さらに、薬物療法の有効性が向上したことで、入院が必要になった精神障害の患者に対して隔離や身体的な拘束が必要になることは、以前と比べて減っています。また、入院しても数日で退院し、外来治療施設での治療に移行できる場合が多くなっています。外来治療施設では、病院と比べて必要とされるスタッフ数が少なく、個人療法より集団療法に重点が置かれ、患者は自宅や中間施設で寝泊まりするため、入院治療と比べて医療費が少額で済みます。
ただし、脱収容化には問題点もあります。資金面の問題から、かつて施設の中で提供されていた必要な治療や保護を地域の精神医療サービスで十分に代替するには至っていません。そのため、多くの人が必要な精神医療サービスを受けられずにいます。さらに、現在の米国の法律では、自傷他害のおそれがない精神障害の患者について、以前のように本人の意思に反して入院させたり、治療を受けさせたりすることが禁止されていて、このことは、本人が精神的な問題の存在を認識しないこと(病態失認)を特徴とする重篤な精神障害が存在することから、特に問題になっています。そのため、病院外で再び精神障害になる人の多くが、ホームレスになったり、刑務所に収監されたりしています。無防備な状態で屋外の環境にさらされたり、感染症にかかったり、健康上の問題に対して十分な治療を受けられなかったりすることで、若くして亡くなる人も多くいます。こうした法律によって確かに患者の人権は守られますが、多くの患者に対して必要な治療を提供しにくくなるという側面もあり、また治療を受けないと非常に非合理的な行動をとる患者もいます。
脱収容化に関連する問題を受けて、包括型地域生活支援(ACT)などの新しい治療アプローチが考案されており、重篤な慢性精神障害がある患者のためのセーフティネットの構築に役立っています。ACTでは、ソーシャルワーカー、リハビリテーション専門家、カウンセラー、看護師、精神科医で構成されるチーム(集学的チーム)を活用します。このチームは、重篤な精神障害の患者や医療機関に行くことができない人、行こうとしない人に対して、個別化したサービスを提供します。それらのサービスは、患者の自宅またはその近所(例えば、近くの飲食店、公園、販売店)で提供されます。
社会的支援
気にかけてもらいたい、受け入れて欲しい、気持ちの支えが欲しいといった思いを満たしてくれる社会的ネットワークは、誰にとっても必要なもので、特にストレスが大きい状況では重要です。体の病気も心の病気も、しっかりした社会的支援を受けることで回復が大いに促進されることが、研究によって示されています。社会の変容に伴い、かつては隣人や家族が行っていた従来型のサポートは減っていますが、それに代わり、米国では自助グループや相互支援グループが各地で創設されています。
依存症に焦点を置いた自助グループとして、アルコホーリクス・アノニマス(アルコール依存症の人のための自助グループ)やナルコティクス・アノニマス(薬物依存症の人のための自助グループ)などがあります。このほか、障害者や高齢者など特定の人々の支援活動を行っているグループもあります。米国には全米精神疾患患者家族会(NAMI)など、重い精神障害患者の家族を支援するグループもあります。
さらなる情報
役立つ可能性がある英語の資料を以下に示します。こちらの情報源の内容について、MSDマニュアルでは責任を負いませんのでご了承ください。
全米精神障害者家族会連合会(National Alliance on Mental Illness[NAMI]):啓蒙、教育、支援、意識啓発のためのプログラムやサービスを提供している全米の精神医療団体。