低血糖(血漿血糖値の低下)は,交感神経系刺激,および中枢神経系機能障害をもたらすことがある。低血糖は,インスリンまたは血糖降下薬を使用している糖尿病患者ではよくみられ,血糖値が70mg/dL以下になることと定義される。対照的に,外因性インスリン療法と無関係の低血糖は,様々な疾患または薬物によって引き起こされるまれな臨床症候群である。診断には,症状発生時または72時間絶食中の血液検査の施行を要する。低血糖の治療はブドウ糖投与と基礎疾患の治療とを組み合わせて行う。
症候性低血糖は,経口血糖降下薬またはインスリン(特にスルホニル尿素薬)による糖尿病の薬物治療の合併症であることが最も多い。
糖尿病治療に無関係な症候性の低血糖は比較的まれで,その理由の1つとして生体には低血糖を代償するための徹底した拮抗機序が備わっていることがあげられる。急性の低血糖に反応して生じるグルカゴン濃度およびアドレナリン濃度の急上昇が最初の防衛反応であると考えられる。コルチゾールや成長ホルモンの濃度も急速に増加し,遷延する低血糖からの回復に重要となる。通常,これらのホルモンの分泌閾値は,低血糖症状の閾値よりも高い。乳児期および小児期に低血糖を引き起こす遺伝性または先天性の症候群については,ここでは考察しない。
低血糖の病因
糖尿病のない患者における低血糖はまれである。低血糖は空腹時および/または食後に起こり,インスリンを介するものと介さないものとに分類される。
臨床状態に基づく分類,すなわち一見健康な患者または病的な患者のいずれに低血糖が生じたかは,実践的で役立つ。
糖尿病のない健康そうに見える(well-appearing)成人における鑑別診断には,インスリンを介する疾患とインスリンを介さない疾患の両者が含まれる。
インスリンを介する原因には以下のものがある:
外因性インスリン
インスリン分泌促進薬(スルホニル尿素薬)の使用
インスリノーマ
Non-insulinoma pancreatogenous hypoglycemia syndrome(NIPHS)(非インスリノーマ膵原性低血糖症候群)
肥満外科手術後の低血糖
インスリン自己免疫による低血糖
インスリノーマは,インスリン産生β細胞から生じるまれな神経内分泌腫瘍である。一般的には空腹時低血糖を引き起こすが,食後低血糖がみられることもある。肥満外科手術後の低血糖は,肥満外科手術(特にroux-en-Y法による胃バイパス術)後に発生する高インスリン血症性低血糖であり,ときに術後数年経過してからでも発生することがある。まれであるが,真の頻度は不明であり,病理検体では膵島細胞症(膵β細胞の肥大)が認められる。低血糖は典型的には食後に起こる。NIPHSは,局所画像検査が陰性で,肥満外科手術の既往がない患者に高インスリン血症性低血糖がみられるまれな疾患である。低血糖は通常食後にみられ,外科手術検体は膵島細胞症の特徴を示す。
インスリン自己免疫による低血糖は,全身性エリテマトーデスなど他の自己免疫疾患の患者で最も多くみられる病態である。自己抗体はインスリンまたは受容体に結合し,解離する。循環血中のインスリンは,抗体が離れると,受容体に結合できるようになり,低血糖を引き起こす。治療はコルチコステロイドまたはその他の免疫抑制薬による。
インスリンを介さない原因には以下のものがある:
インスリンまたはスルホニル尿素薬以外の薬剤の使用(例,キニーネ,ガチフロキサシン,ペンタミジン,アルコール)
状態の悪い患者の鑑別診断にも,インスリンを介する疾患とインスリンを介さない疾患の両者が含まれる。
インスリンを介する原因には以下のものがある:
外因性インスリン
インスリン分泌促進薬(スルホニル尿素薬)の使用
インスリンを介さない原因には以下のものがある:
栄養障害または飢餓
進行した心不全
非膵島細胞腫瘍性低血糖(non-islet cell tumor hypoglycemia)
インスリンまたはスルホニル尿素薬以外の薬剤の使用
状態の悪い入院患者において,薬剤によってではなく自発的に生じた低血糖は予後不良の徴候であり,進行した臓器不全(特に肝臓,腎臓,または心不全)および/または敗血症に栄養不良が合併することで起こりうる。非膵島細胞腫瘍性低血糖(non-islet cell tumor hypoglycemia)は,腫瘍から異常な形態のインスリン様成長因子2(IGF-2)が大量に産生される,まれな病態である。IGF-2の異常型はインスリン受容体に結合して低血糖を引き起こす。低血糖が発生する頃には,腫瘍は通常進行している。
偽低血糖(pseudohypoglycemia)は,未処置の試験管に入れた血液検体の分析が遅れ,赤血球,白血球などの細胞(特に白血病または赤血球増多症でみられるように増加している場合)がブドウ糖を消費することで生じる。手指への血液循環が悪い場合も,指先採血での血糖測定値が偽低値を示すことがある。
虚偽性低血糖(factitious hypoglycemia)はスルホニル尿素薬またはインスリンの非治療的投与によって誘発される真性低血糖である。
低血糖の症状と徴候
低血糖に反応して生じる自律神経活動の急激な高まりは,発汗,悪心,熱感,不安,振戦,動悸のほか,おそらく空腹感や錯感覚も引き起こす。脳へのブドウ糖供給不足により,頭痛,霧視または複視,錯乱,興奮,痙攣発作,および昏睡が生じる。高齢者では,低血糖は失語や不全片麻痺など脳卒中様の症状を引き起こすことがあり,脳卒中,心筋梗塞,突然死を起こす可能性がより高くなる。
罹病期間の長い糖尿病患者はもはや自律神経症状を自覚しないため,低血糖エピソードに気づかない場合がある(無自覚性低血糖)。
コントロールされた環境下での調査研究では,自律神経症状は血糖値が約60mg/dL(3.3mmol/L)以下になると発現し,これに対して中枢神経系症状は血漿血糖値が約50mg/dL(2.8mmol/L)以下になると発現する。しかし,低血糖を示唆する症状は低血糖自体よりもはるかに一般的である。低血糖を示唆する症状を呈するにもかかわらず血糖値は正常範囲内にある患者がいる一方で,血糖値がこれらの閾値にあるにもかかわらず症状を呈さない患者もいる。
低血糖の診断
血糖値の測定
インスリンまたは血糖降下薬を使用中の糖尿病患者では,血糖値70mg/dL(3.8mmol/L)未満で相関する臨床所見がみられる場合,低血糖と判断できる。
糖尿病患者における低血糖の重症度は,血糖値および介助の必要性に基づく:
レベル1(軽度)の低血糖:血糖値 < 70mg/dL(< 3.8mmol/L)かつ ≥ 54mg/dL(≥ 3mmol/L)
レベル2(中等度)の低血糖:血糖値 < 54mg/dL
レベル3(重度)の低血糖:精神状態または身体状態の変化があり,他者からの介助が必要な低血糖
糖尿病治療を受けていない患者では,低血糖疾患の診断にはWhipple三徴の確認または絶食時の低血糖の確認が必要である。Whipple三徴は以下の通りである:
低血糖の症状
症状発生時に血漿血糖値が低い(< 55mg/dL)
ブドウ糖または他の糖を投与すると症状が軽減する
医療従事者が症状発生時に立ち会っていたならば,解糖阻害剤入り採血管に入れた血液を血糖検査に送るべきである。血糖値が正常範囲内であれば,低血糖は除外され,症状を引き起こす他の原因を検討すべきである。血糖値が異常に低く,病歴(例,薬剤,副腎皮質機能低下症,重度の栄養障害,臓器不全または敗血症)から原因が同定できない場合は,血清インスリン,インスリン抗体およびスルホニル尿素薬の濃度をチェックすべきである。同一検体でCペプチドおよびプロインスリンを測定することにより,インスリンを介する低血糖とインスリンを介さない低血糖,虚偽性低血糖と生理的低血糖とを識別でき,さらなる検査は不要となる。
しかし実際には,患者が低血糖を示唆する症状を来したときに医療従事者が立ち会っていることはまれである。家庭用血糖測定器(グルコースメーター)は低血糖の定量において信頼性が低く,また長期間の低血糖と正常血糖とを識別する糖化ヘモグロビン(HbA1C)の明らかな閾値は存在しない。したがって,患者の臨床状態および併存疾患を考慮して,低血糖を引き起こしうる基礎疾患が存在する可能性を推定し,それに基づいてより広範な診断検査を行う必要があるかどうかを判断する。
インスリンを介する低血糖とインスリンを介さない低血糖とを鑑別し,低血糖の病因を特定するには,48時間または72時間の絶食が必要になることがある。
制御された環境で72時間の絶食を施行することが診断のスタンダードである。ただし,低血糖性の疾患のある患者ほとんど全てにおいて,低血糖を検出するためには48時間の絶食で十分であり,72時間の絶食はおそらく不要である。患者はカフェインを含まないノンカロリー飲料のみを摂取し,ベースライン時,症状出現時,および4~6時間毎(血漿血糖値が70mg/dL[3.8mmol/L]未満に低下した場合は1~2時間毎)に血糖値を測定する。
血漿血糖値が55mg/dL未満の場合,同時に血清インスリン,Cペプチド,プロインスリンを測定することで,内因性低血糖を外因性(虚偽性)低血糖と鑑別すべきである。症状が出現せず血糖値が正常範囲内であれば,絶食を72時間で中止し,血糖値が45mg/dL(2.5mmol/L)以下に低下した場合や低血糖症状が出現した場合には,より早い時点で中止する。
絶食終了時の測定項目には,β-ヒドロキシ酪酸(原因がインスリノーマの場合,低値),血清スルホニル尿素(薬剤性低血糖を検出する),およびグルカゴン静注後血糖値(インスリノーマに特徴的な血漿血糖値の上昇を検出する)を含める。このプロトコルによって低血糖を検出する際の感度,特異度,適中率は報告されていない。
モニタリング下での絶食中の病的な低血糖を明確に定義する,確実な血糖値の下限値は存在しない。健常な女性では,男性と比べて空腹時血糖値が低下する傾向があり,症状を伴わず血糖値が50mg/dL(2.8mmol/L)にまで低下する場合もある。症候性低血糖が48~72時間以内に生じなければ,激しい運動を約30分間行うとよい。低血糖がそれでも生じなければ,インスリノーマは基本的に除外され,追加の検査は一般に適応とならない。
食後高血糖の患者では,誘因となる食物の摂取後に指先採血による血糖値測定と臨床検査を行ってもよい。
低血糖の治療
砂糖の経口投与またはブドウ糖の静脈内投与
ときに,グルカゴンの非経口(parenteral)投与
血糖降下薬を使用している患者における治療
低血糖の緊急治療はブドウ糖供給である。低血糖のリスクがある者は,グルカゴンまたはダシグルカゴン(dasiglucagon)を家に用意しておき,外出時は携帯すべきであり,また家族および信頼できる者に対して,低血糖による緊急事態への対応方法を指導しておくべきである。
血糖降下薬(インスリンまたはスルホニル尿素薬)による治療を受けている患者では,血漿血糖値が70mg/dL(3.8mmol/L)未満になった場合を低血糖とみなし,その場合,さらなる血糖値の低下および低血糖の影響を回避するための治療を行うべきである。
飲食できる患者は,症状出現時にジュースやショ糖水,ブドウ糖液を飲んだり,砂糖菓子や他の食物を摂取したり,ブドウ糖錠剤を服用したりしてもよい。
低血糖の治療では15sの法則に従うべきである。通常,15gのブドウ糖またはショ糖を摂取するとよい。ブドウ糖またはショ糖の摂取後15分の時点で血糖値を確認し,血糖値が80mg/dL(4.4mmol/L)を超えていなければさらに15g摂取するよう指導すべきである。血糖値が80mg/dLを超えて改善した後は,血糖値の再低下を防ぐために,複合炭水化物とタンパク質を含む軽食を摂取してもよい。
飲食できない成人および小児には,グルカゴン0.5mg(体重25kg未満)または1mg(25kg以上)を皮下または筋肉内に投与できる。グルカゴン鼻腔スプレー3mgまたはダシグルカゴン(dasiglucagon)0.6mgの皮下投与(自動注入装置が利用できる)を使用することもある。
病院で低血糖を管理する場合,乳幼児には10%ブドウ糖液2~3mL/kgを経静脈的にボーラス投与する場合がある。成人または比較的年長の小児は,50%ブドウ糖液50~100mLの静注ボーラス投与で治療することができ,場合によってはそれに加えて,症状緩和に十分な量の5~10%ブドウ糖液を持続静注することがある。
グルカゴンの効力は肝臓のグリコーゲン貯蔵量に依存し,長期間絶食していた患者や長期間低血糖状態にあった患者ではグルカゴンは血漿血糖値にほとんど影響を及ぼさない。
低血糖に続いて高血糖が生じることがあり,これは糖分の過剰摂取が原因の場合と,低血糖による拮抗ホルモン(グルカゴン,アドレナリン,コルチゾール,成長ホルモン)の急上昇が原因の場合とがある。
血糖降下薬を使用していない患者における治療
インスリンまたはスルホニル尿素薬を使用していない患者の低血糖も,砂糖の経口摂取,ブドウ糖静注,またはグルカゴンにより是正すべきである。低血糖を引き起こす基礎疾患も治療しなければならない。膵島細胞腫瘍および非膵島細胞腫瘍はまず局在を明らかにし,続いて核出または膵部分切除によって取り除く;約6%は10年以内に再発する。手術待機中,患者が手術を拒否しているとき,または手術の適応がないときには,症状のコントロールにジアゾキシドおよびオクトレオチドが使用されることもある。
膵島細胞腫瘍の検索が行われたが腫瘍が同定されなかったときには,除外診断によりnon-insulinoma pancreatogenous hypoglycemia syndrome(NIPHS)の診断が下されることが最も多い。ジアゾキシドまたはオクトレオチドが使用されており,難治例には膵部分切除術が必要になることがある。
胃バイパス術後に低血糖を来した患者は,低炭水化物食の頻度を増やすことで治療できることがあるが,アカルボースやジアゾキシドなどの他の治療法が必要になる場合もある。
低血糖を引き起こす薬剤は,アルコールを含めて中止しなければならない。
要点
糖尿病の薬物治療を受けている患者において,血漿血糖値が70mg/dL未満になることを低血糖と呼ぶ。
大半の低血糖は,糖尿病治療に使用される薬剤により引き起こされる(不正な使用を含む);インスリン分泌腫瘍はまれな原因である。
糖尿病治療に起因しない低血糖性疾患の診断には,血漿血糖値低値(55mg/dL未満[3mmol/L未満])に加えてブドウ糖投与により回復する低血糖症状が同時に認められる必要がある。
低血糖の病因が不明の場合は,48~72時間絶食を施行し,定期的に,また症状が生じた時点で血漿血糖値を測定する。
内因性低血糖を外因性(虚偽性)低血糖と鑑別するため,低血糖があるときに,血清インスリン,Cペプチド,およびプロインスリンを測定する。
インスリンまたは血糖降下薬による低血糖を呈する患者は,臨床的重症度に応じて,ブドウ糖およびグルカゴンの経口または非経口投与により治療する。
インスリンまたは他の血糖降下薬によらない低血糖の患者では,ブドウ糖およびグルカゴンを投与し,基礎にある原因を治療する。