疾患の解明
診断
数多くの疾患(例,ターナー症候群,クラインフェルター症候群,ヘモクロマトーシス)の診断に遺伝学的検査が用いられている。遺伝性疾患の診断は,患者の近親者を対象とした遺伝学的異常または保因状態のスクリーニングが必要であることをしばしば意味する。診断戦略を含めた多くの遺伝性疾患に関する遺伝子検査の一覧およびレビューと,リスクカウンセリングに関する推奨が,Genetic Testing Registryから入手可能である。
遺伝学的スクリーニング
特定の遺伝性疾患のリスクを有する集団では,遺伝学的スクリーニングが適応となる場合がある。遺伝学的スクリーニングの通常の基準を以下に示す:
遺伝パターンが判明している。
効果的な治療法が利用可能である。
スクリーニング検査が十分な妥当性,信頼性,感度,および特異度を備えており,十分に低侵襲かつ安全である。
対象集団における有病率がスクリーニングの費用を正当化できるほど十分に高くなければならない。
出生前遺伝学的スクリーニングの目的の1つは,潜性遺伝(劣性遺伝)疾患の遺伝子を保有する無症状のヘテロ接合体の親を同定することにある。例えば,アシュケナージ系ユダヤ人にはテイ-サックス病の,アフリカ系の人々には鎌状赤血球症の,いくつかの民族の人々にはサラセミアのスクリーニングが実施されている。ヘテロ接合体の個人の配偶者もヘテロ接合体である場合には,そのカップルの子は罹患者となるリスクがある。リスクが十分に高ければ,出生前診断(例,羊水穿刺,絨毛採取,臍帯血採取,母体血採取,胎児画像検査)を検討することができる。場合によっては,出生前診断した遺伝性疾患の治療を続けて行い,合併症を予防することもできる。例えば,特別な食事療法や補充療法を施行すれば,フェニルケトン尿症,ガラクトース血症,および甲状腺機能低下症の影響を最小化または除去することが可能になる。出生前にコルチコステロイドを母親に投与すれば,先天性副腎皮質過形成症の重症度が低下する可能性がある。
ハンチントン病やBRCA1およびBRCA2遺伝子の異常が関連するがんなど,中年期以降で発症する顕性遺伝(優性遺伝)疾患の家族歴を有する個人にも,スクリーニングが適切となりうる。スクリーニングを行えば,対象者で問題の病態が発生するリスクが明確になるため,より頻回のスクリーニングや予防的治療などの適切な計画を立てることが可能になる。
家族で遺伝性疾患が診断された場合にも,スクリーニングの適応となることがある。保因者と同定された個人は,生殖に関して,十分な情報を得た上での意思決定を行うことが可能になる。
治療
障害の遺伝学的および分子生物学的基盤の理解が治療方針の決定に役立つことがある。例えば,フェニルケトン尿症やホモシスチン尿症など,特定の遺伝的障害のある患者では,食事制限によって有害な物質を排除することが可能になる。ビタミンやその他の物質は,生化学的経路を修飾することにより,特定の化合物による毒性の程度を低減することができる;例えば,葉酸は5,10-メチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素遺伝子の多型を有する個人においてホモシステイン値を低下させる。欠乏した化合物を補充する治療法や,過剰に活性化された経路を遮断する治療法もある。
ファーマコゲノミクス
ファーマコゲノミクスは,遺伝学的特徴が薬物に対する反応に及ぼす影響を研究する科学である。ファーマコゲノミクスの1つの側面は,遺伝子が薬物動態にどのような影響を及ぼすかである。個人の遺伝学的特徴は,治療に対する反応の予測に役立つ可能性がある。例えば,ワルファリンの代謝は,CYP2C9酵素およびビタミンKエポキシド還元酵素複合体1の遺伝子変異体(variant)に部分的に規定されている。抗がん剤のイリノテカンが耐容不能の有害作用を引き起こすか否かの予測にも遺伝的バリエーション(例,UDP[ウリジン二リン酸]-グルクロン酸転移酵素1A1の産生に係るバリエーション)が役立つ。
ファーマコゲノミクスの別の側面は,薬力学(薬物が細胞の受容体とどのように相互作用するか)である。異常組織の遺伝学的特徴とそれによる受容体の特性は,医薬品(例,抗がん剤)開発におけるより高精度な標的の探索に役立つ可能性がある。例えば,トラスツズマブはHER2/neu遺伝子が増幅した転移性乳癌において特定のがん細胞受容体を標的にすることができる。慢性骨髄性白血病(CML)患者におけるフィラデルフィア染色体の存在は,化学療法の方針決定に役立つ。
遺伝子治療
遺伝子治療とは,広義には遺伝子機能を変化させるあらゆる治療法と考えることができる。しかしながら,より具体的には,特定の遺伝性疾患をもつ個人の正常遺伝子を欠いた細胞にその正常遺伝子を挿入する治療法のことを遺伝子治療と呼ぶ場合が多くなっている。正常遺伝子は,他の個人から提供された正常DNAからPCR法で作製することができる。大半の遺伝性疾患は潜性(劣性)であるため,通常は顕性(優性)の正常遺伝子が挿入される。現時点では,このような挿入による遺伝子治療は嚢胞性線維症などの単一遺伝子異常の予防または治療に効果的となる可能性が最も高い。
ウイルスを用いる遺伝子導入(viral transfection)は,DNAを宿主細胞に導入する方法の1つである。ウイルスに正常なDNAを挿入し,それを宿主細胞に導入することにより,そのDNAを細胞核に移行させる。ウイルスを用いた遺伝子挿入に関する重要な懸念として,ウイルスに対する反応,新しい正常DNAの急速な喪失(増殖の失敗),免疫系が異物と認識するウイルス,ウイルスベクター,または導入タンパク質に対する抗体によるウイルスの損傷などがある。DNAを導入する別の方法は,リポソームを使用するもので,これは宿主細胞に吸収されることによってDNAを細胞核内に移送する。リポソーム導入法の潜在的な問題として,細胞内へのリポソームの吸収の失敗,新しい正常DNAの急速な分解,DNAの組込みの急速な喪失などがある。
アンチセンス技術では,正常遺伝子を挿入するのではなく,遺伝子発現を変化させることができる。修飾RNAを用いてDNAまたはRNAの特定の部分を標的とすることで,遺伝子発現を阻止または抑制することができる。アンチセンス技術は現在,がん治療と一部の神経疾患で試されているが,まだまだ実験段階である。しかしながら,これは遺伝子導入療法と比べて成功率が高く,合併症が少ない可能性があり,より有望とみられる。アンチセンスオリゴヌクレオチドは,脊髄性筋萎縮症およびデュシェンヌ型筋ジストロフィーの治療として臨床での使用が可能になっている。
遺伝子治療のもう1つのアプローチは,遺伝子発現を化学的に修飾するものである(例,DNAメチル化の修飾)。このような方法は,がん治療において実験的に試されている。化学修飾の作用は明らかではないが,ゲノムインプリンティングにも影響を及ぼす可能性がある。
遺伝子治療は,移植手術でも実験的に検討されている。レシピエントの遺伝子に適合しやすくするための移植臓器の遺伝子改変により,拒絶反応の可能性(および免疫抑制薬の必要性)を低減することができる。しかしながら,これまでのところ,このプロセスはまれにしか機能していない。
CRISPR-CAS9(clustered regularly interspaced short palindromic repeats–CRISPR-associated protein 9)は,細菌生物学の知見を応用したRNAガイドによる汎用的DNA編集プラットフォームを利用して,生物の遺伝子構成を操作および改変する。まだ実験段階ではあるが,CRISPR-CAS9はヒトの治療への応用が急速に進んでいる。
より詳細な情報
有用となりうる英語の資料を以下に示す。ただし,本マニュアルはこれらの資料の内容について責任を負わないことに留意されたい。
The Online Mendelian Inheritance in Man (OMIM) database: A continuously updated catalog of human genes and genetic disorders and traits, with particular focus on the molecular relationship between genetic variation and phenotypic expression
Genetic Testing Registry: Provides a central location for voluntary submission of genetic test information by providers
要点
遺伝学的スクリーニングは,対象疾患の有病率が十分に高く,治療が可能であり,検査法の精度が十分に高い場合に限って正当化される。