コロナウイルスは,感冒から致死的な肺炎に至るまでの様々な重症度の呼吸器疾患を引き起こす,エンベロープを有するRNAウイルスである。
1930年代に家禽で初めて発見された多くのコロナウイルスは,動物で呼吸器,消化管,肝臓,および神経系の疾患を引き起こす。ヒトに疾患を引き起こすことが知られているのは7種類のみである。
7種類のうち4種類は感冒の症状を引き起こすことが非常に多い。コロナウイルス229E,OC43,NL63,およびHKU1は,感冒症例の約15~30%の原因となっている。まれに,細気管支炎と肺炎を含む重度の下気道感染症が発生することもあり,これは主に乳児,高齢者,易感染性患者にみられる。
7種類のコロナウイルスのうち3種類は,他のコロナウイルスよりもはるかに重度で,ときに死に至る呼吸器感染症を引き起こし,21世紀になってから致死的な肺炎の大規模なアウトブレイクを引き起こしている。
SARS-CoV-2は,COVID-19(coronavirus disease 2019)の原因として同定された新型コロナウイルスであり,2019年末に中国の武漢で流行が始まり,世界中に拡大した。
MERS-CoVは,中東呼吸器症候群(MERS)の原因として2012年に同定された。
SARS-CoVは,2002年の終わりごろに中国で始まった重症急性呼吸器症候群(SARS)のアウトブレイクの原因として2003年に同定された。
重度の呼吸器感染症を引き起こすこれらのコロナウイルスは人獣共通感染の病原体であり,感染動物から始まり,動物からヒトに伝播する。SARS-CoV-2はヒト-ヒト感染において大きな感染力をもつ。
中東呼吸器症候群(MERS)
中東呼吸器症候群(MERS)は,MERSコロナウイルス(MERS-CoV)によって引き起こされる重症急性呼吸器疾患である。
MERS-CoV感染症は,2012年9月にサウジアラビアで最初に報告されたが,その後,2012年4月に発生していたヨルダンでのアウトブレイクが遡及的に確認された。2021年までに,全世界の27カ国から2500例を超えるMERS-CoV感染症例(と少なくとも850例の関連する死亡例)が報告されているが,MERSは全ての症例にアラビア半島およびその周辺諸国への旅行または居住との関連が認められており,80%以上がサウジアラビアに関係するものである。アラビア半島以外で起きたMERSの最大のアウトブレイクは,2015年に韓国で発生したものである。このアウトブレイクにはアラビア半島から帰国した1人の旅行者が関係していた。欧州全域の国々とアジア,北アフリカ,中東,そして米国で症例が確認されており,それらの症例は治療を受けるために中東から移送された患者か中東から帰国後に発症した患者である。2019年以降に報告された症例はごくわずかである(1)。
血清抗体保有率の予備的調査から,この感染症がサウジアラビアの広範囲には及んでいないことが示されている。
世界保健機関(World Health Organization)は,ウムラ(小巡礼)やハッジ(大巡礼)のためにサウジアラビアを訪れる巡礼者がMERS-CoVに感染するリスクは非常に低いと考えている。
MERS-CoVに感染した患者の年齢の中央値は約50歳で,患者の大半が男性である。高齢患者と糖尿病,慢性心不全,慢性腎疾患などの基礎疾患がある患者では,感染症がより重度化する傾向がある。
MERS-CoVの伝播
MERS-CoVは直接接触,呼吸器飛沫(5μm以上の粒子),またはエアロゾル(5μm未満の粒子)を介してヒトからヒトへ伝播する。MERS患者との濃厚接触が唯一のリスクであった個人に感染症が発生したことで,ヒトからヒトへの伝播が確認された。
MERS-CoVの病原巣はヒトコブラクダと考えられているが,ラクダからヒトへの伝播が起きる機序は不明である。報告症例の大半が医療機関で起きたヒトからヒトへの伝播に関連したものである。MERSが疑われる場合は,医療現場での感染伝播を防止するために速やかに感染制御対策を開始する必要がある。
参考文献
1.World Health Organization: Middle East respiratory syndrome coronavirus (MERS-CoV) situation update---Feburary 2022.
MERSの症状と徴候
MERS-CoVの潜伏期間は約5日である。
報告された大半の症例で入院を要する重症呼吸器疾患がみられ,致死率は約35%であったが,約21%の患者は軽症または無症状であった(1)。発熱,悪寒,筋肉痛,および咳嗽がよくみられる。消化管症状(例,下痢,嘔吐,腹痛)が約3分の1の患者でみられる。ICUでの治療を必要とするほどの重症例もあるが,時間の経化とともにそのような症例の割合は急速に減ってきている。
症状と徴候に関する参考文献
1.World Health Organization: MERS Global Summary and Assessment of Risk - July 2019
MERSの診断
上気道および下気道分泌物ならびに血清検体のRT-PCR(逆転写PCR)検査
発熱を伴う原因不明の急性下気道感染症があり,発症前14日以内に以下のいずれかの経験がある患者では,MERSを疑うべきである:
MERSが最近報告された地域または伝播が起きている可能性がある地域への旅行または同地域での居住
MERSの伝播が起きている医療施設との接触
MERSが疑われていた患者との濃厚接触
MERSの疑いがある患者と濃厚接触した発熱がみられる患者でも,呼吸器症状の有無にかかわらず,MERSを疑うべきである。
米国疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)から最新の勧告が公開されている(MERS: Interim Guidance for Healthcare Professionals)。
検査には上気道および下気道分泌物のリアルタイムRT-PCR検査を含めるべきであり,理想的には異なる部位から異なる時点で採取された複数の検体を使用する。患者に加えて,医療従事者を含めた濃厚接触者全員(無症状の者も含む)から血清検体を採取すべきである(軽症または無症候性MERSの同定に役立てるため)。MERSが疑われた直後または曝露があった直後(急性期血清)と3~4週間後(回復期血清)に血清検体を採取する。検査は州保健局またはCDCで実施される。
胸部画像検査により全ての患者で異常が検出されるが,その異常は軽微なこともあれば広範に及ぶこともあり,片側性のこともあれば両側性のこともある。一部の患者では,LDHおよびASTの高値や血小板数およびリンパ球数の減少がみられる。少数の患者では急性腎障害がみられる。播種性血管内凝固症候群と溶血が発生することもある。
MERSの治療
対症療法
MERSの治療は対症療法による。疑い例からの伝播を防止するために,医療従事者は標準予防策と接触および空気感染予防策を講じるべきである。
ワクチンはない。
より詳細な情報
有用となりうる英語の資料を以下に示す。ただし,本マニュアルはこれらの資料の内容について責任を負わないことに留意されたい。
重症急性呼吸器症候群(SARS)
重症急性呼吸器症候群(SARS)は,SARSコロナウイルス(SARS-CoV)によって引き起こされる重症急性呼吸器疾患である。
SARSは他のコロナウイルス感染症よりはるかに重症の疾患である。SARSは,ときに進行性に重症化する呼吸機能不全を来すインフルエンザ様疾患である。
SARS-CoVは,2002年11月に中国の広東省で最初に検出された後,さらに28カ国に拡大した。このアウトブレイクでは,世界中で8000例以上の症例と774例の死亡が報告された(死亡率は約10%で,高齢であるほど有意に高く,65歳以上では50%を超えていた)(1, 2)。米国疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)が特定地域への旅行の中止を勧告したのは,このSARS-CoVのアウトブレイクが初めてであった。このアウトブレイクは鎮静化し,2004年以降新たな症例は同定されていない。直接の発生源はジャコウネコであると推定され,この動物は生きた動物を売買する市場で食材として販売されていたもので,ジャコウネコは商用として捕獲される前にコウモリとの接触を介して感染した可能性が高い。コウモリはしばしばコロナウイルスの宿主となる。
SARS-CoVは濃厚接触によってヒトからヒトへと伝播する。感染者が咳嗽やくしゃみをしたときに生じる呼吸器飛沫を介した伝播が最も起きやすいと考えられている。
SARSの診断は臨床的に行い,治療は支持療法による。2002年のアウトブレイクでは,迅速かつ厳格な感染制御の協力体制が迅速な制御の一助となった。
2004年以降新たな症例は報告されていないが,原因ウイルスが動物に病原巣をもち,そこから再び出現する可能性も想定されることから,SARSは根絶されたと考えるべきではない。
SARSに関する参考文献
CDC Morbidity and Mortality Weekly Report: Revised U.S. Surveillance Case Definition for Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS) and Update on SARS Cases --- United States and Worldwide, 52(49);1202-1206, 2003
Peiris JS, Yuen KY, Osterhaus AD, et al: The severe acute respiratory syndrome.N Engl J Med 349(25):2431-41, 2003.doi: 10.1056/NEJMra032498.PMID: 14681510